2005年09月08日

理想的且つ正反対の生き方〜マザー・テレサの無私とレオノール・フィニの奢侈 T:映画『マザー・テレサ』

 映画『マザー・テレサ』観て来ました。そして、余り日本では有名ではないかも知れませんが、レオノール・フィニ(シュルレアリスム画家)の展覧会も観て来ました。

 この二人の女性は、マザー・テレサが1910生−1997没、フィニが1907生−1996没と、同じ時代を生き、亡くなったのも殆ど同じ頃という共通点があります。

 しかし、全く正反対な人生を生きた二人です。が、どちらも私には理想的な生き方に思えます。

 まず「T」としてマザー・テレサの映画の方の感想を。

  マザー・テレサの人生は、ご存知の方も多いのではないでしょうか。だから、粗筋等ではなく、気付いた事を少し。

 実在の人物を描く場合は、私は出来るだけ事実に基づいて製作すべきだと思います。知識が乏しい者が観た場合、「それは事実である」と思い込むからです。勿論、私もそうです。

 マザー・テレサは列車に乗っていた時、「貧しい者の中でも最も貧しい者と共に生きなさい」という神の声を聞いて、それまでの割と安穏な修道女生活を捨て、厳しい貧民街での生き方を選んだそうですが、映画では道端で倒れている瀕死の人が「私は渇く(これは、十字架に架けられたキリストが今際の際に言った言葉です。日本人にはピンと来ませんがクリスチャンならすぐ分かります)」と言ったのを聞いて・・・という事になっています。確かにこの方が劇的ですが、えぇんかいなぁ?

 それから、彼女は「神が自分にこういう風に生きろと命じている」という確たる自信があるため、色々な困難や障害が持ち上がっても、全く怯まず「直進」(笑)していきます。
 が、孤児の一人が事故で亡くなった時、その子の遺品を箱に詰め、豪雨の中、傘も差さずに川まで歩いて行って、遺品を流し、その場にへたり込み「もう私は前に進めない」と珍しく弱音を親しい神父に吐露する印象的な場面があります。これも本当だろうか??

 彼女のイメージは、鉄の意志を持ちそれを生涯貫いた「とても近付けない人物」なのですが、もしこのエピソードが本当にあった話なら、とても身近に感じられ、共感出来ます。


 あと、ローマに行き、都会のホームレスらしき人々を見たマザーが修道女達に言葉で印象的だったので、少々。
 「私達(の戦っている貧困)は米と薬さえあれば良いのだから、まだましよ。都会の(精神の)貧困の方がはるかに深刻だわ」

 36歳から亡くなる87歳までの約50年間のエピソードを2時間余に凝縮するのだから、散漫な印象はどうしても否めません。
 ただ、「自分は神の意思に従って行動しているのだ」という信念があったというのは、よーーく分かりました。何か一つでも信じるものがある人は強いなぁ、羨ましいなぁ、とも思います。そして、何も持たず、ただ他人のために生きる人生にも強く憧れを感じます。

 でも、映画としては、・・・どうなんでしょ。



 

 
posted by りうこ at 00:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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